最近、よく聞く言葉があります。「生きづらさ」…この短い言葉には、実に多くの種類の苦悩が内包されているように思います。例えば、老い、病気やケガ、心身の障害、差別・無理解、経済的困難、人間関係の緊張、あるいは孤独…。
そこまで苦悩が多いのにもかかわらず、なぜ、人間は生きなければならないのか。この困難な問いに対して、社会的・経済的立場の違いを越え、多くの人が納得して共有できる、有効な答えはあるのでしょうか。
そこで、教会が提案するもの。それは、キリストです。キリストの生涯を通して、示されたもの。その中に、すべての人間が生きる真の目的が表されています。その人の生い立ちや、学歴・年収などの属性、その人の置かれた環境、あるいは他者から受ける否定的な評価とは無関係に、人間が生きることは尊い!
そうした無条件の尊さは、残念ながら、学校教育などで得られる機会はほとんどありません。しかし、「すべての人間は、神によってつくられたもの」という大前提のもと、「神が人間に生きる価値を与える」ことを信じるとき、その人の世界観は、大きく変わり始めます。
教会は決して、清い人・正しい人の集まりではありません。必ずしも、皆が仲良しというわけでもありません。そうではありますが、「神によって生かされている人」の集まりではあります。そこに、多様な人々の間で一致できる、何かがあるのです。
そういう教会に、足を運んでみませんか?
世界で一番多く読まれている書物は何か、ご存知でしょうか?…それは、聖書です。はるか紀元前から今日に至るまで、聖書は途絶えることなく、世界中の多くの人に読まれ、また研究され続けてきました。
それだけのベストセラーだからでしょうか、肯定的意見だけでなく、「キリスト教は独善的だ」という声を聞くことがあります。グローバル化がますます進展し、多様な宗教や価値観に対して寛容になろうと努めている今日の国際社会において、教会が聖書の教えの絶対性を主張することは、キリスト教の独善的で偏狭な印象を、人々に与えてしまっているのかもしれません。
そういう時代だからこそ、お伝えしたいことがあります。実は、聖書とは、読む人に救いを与えてくれるだけでなく、鮮烈に自己批判と内省を行う力をも与えてくれるのです。神に赦され、温かく受け入れられる中で、自分自身の中にある隠れた問題性(偽善性)が暴露されてしまう。そういう「耳に痛い」メッセージも、聖書には数多く収められています。
大切なことは、自分に都合のよいメッセージだけでなく、都合の悪いメッセージにも、真摯に耳を傾けることです。
皆様もご一緒に、聖書のメッセージを聴きませんか?
わたしたちの教会は、伝統的な聖書信仰に立つ、プロテスタント(メソジスト系)の福音的独立教会です。
毎週聖書に基づいた説教がなされます。 教会はどなたでもおいでになれます。
共に聖書のことばに耳を傾けませんか?
聖書や賛美歌集も用意されています。
また、日曜日以外にも、「祈祷会」や「聖書を学ぶ会」などを行っております。
〒234-0054
横浜市港南区港南台 6-3-4
TEL & Fax 045-835-0994
「魚」は最古のキリスト教のシンボルの一つです。
それは、「イエス、キリスト、神の、子、救い主」の 五単語のギリシャ語の頭文字をつなげると、イクソス=魚を意味することから、魚がキリストを象徴
するものとなりました。つまり、「イエス・キリストは神の子、救い主です」ということです。